朝鮮から流した空樽が着く潟の口
どんな伝承か
亡くなられた和田雄治の話であった。以前、朝鮮で海流の試験をするたびに、何度も所々の岸から空樽を流してみたことがあったが、いつでもその多くは、この津軽西岸の潟の口に近く漂着するという結果を見たという。日本海周辺に住む民族が、船を扱う技術をまだ十分に発達させていなかった大昔から、ここは自然に開けた水陸出入りの要衝であった。津軽を今の五郡に分けた際、北津軽郡の南西の境も、確かに最初は十三潟の水戸口であったに違いないと著者は書いている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。