石見を本国と伝える相川の海士町
どんな伝承か
相川の町の南端に海士町があり、町並が四十間、家敷は二十戸足らずである。天明初年の『佐渡事略』には、海士町は農業なし、男女とも鮑を採るとあり、外海府北端の願村ですら九十余石であったのに、この村の草高はわずか九斗五升であった。元はやはり漁民として移住して来たものらしく、当初は相川より少し南のドロという小さな浜に住み、姫津が相川の津になった後、保護を与えて移したものらしい。石見が本国ということで、全村ことごとく石見氏である。漁業に関して他村の持たない特権を持っていたのは、多分その歴史を語るものである。
原典より
石見が本國と謂ふことで全村悉く石見氏である。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。