弾誓上人が開いた海府の光明仏寺
どんな伝承か
佐渡の人々が崇める霊山は三つあり、中央の金北山が第一、南の小佐渡に経塚山、北の海府に光明仏がある。光明仏寺は山居とも呼ばれ、東西南北四筋の参詣道はどれも海府の村を登り口としている。海府の信仰の中心といってよいが、この山を開いたのは関東にもなじみの深い相州の弾誓上人で、慶長十四年に六十三歳で没した行者である。寺ができる足利期の終わりまでは、浮世の人には用のない別天地だったのだろうと柳田は記す。
原典より
即ち海府の信仰生活の争ふ者無き中心であるが、しかも此山の開基は關東にも馴染の深い相州の弾誓上人で、慶長十四年に六十三で死んだ行者である。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。