足助塩を送り出した中馬の宿場
どんな伝承か
矢作川を渡ってやや東北に進むと、足助という町があり、ここが重要な宿駅であった。山国へ入ってくる三州その他の塩の問屋もあり、いわゆる中馬路もこの地を起点にしたと見えて、ここで包装をしなおした塩の小俵には足助塩という名称も伝わっている。足助を出て伊勢神峠、近年は辞職峠などという新しい異名の出来た長く苦しい峠を越えると武節稲橋に至り、さらに小山を一つ隔てて信州南端の根羽になる。江戸へ出る近路として、商人などの小さい一行が急ぐ場合に通った道筋であった。
原典より
それから矢作川を渡りやや東北に進んで、足助といふ町が重要な宿驛であつた。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。