猿が二匹の青面金剛と石猿
どんな伝承か
十一月、西武電車の武蔵関で降り、東の踏切を北へ越すと立派な庚申堂がある。四坪ほどの地所を高い石垣で囲い、御堂は新しいコンクリート造りで、道の分かれから八、九間ほど東へ入り、石段を登って参るようになっている。遠国からの寄付もなく土地の者だけで建てたもので、参詣は今も多いらしい。本尊は平石に半浮彫りされた青面金剛像だが、様式が少し変わっていて、足下にうずくまる猿が三匹ではなく二匹である。単なる意匠ではなく信条であったらしく、堂内に納められた石猿も鳥居脇の一対も、いずれも二体ずつであった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。