十十里山の古戦場と地名の由来
どんな伝承か
永禄十二年、小田原攻めを図った武田信玄は、碓氷峠から武蔵へ入って拝島に陣を敷き、別軍の大将の小山田信茂は郡内の岩殿山城を発って、十月一日の早朝に小仏峠を越えて駒木野へ出た。北条氏照の方では武田勢は大菩薩峠を越えて来ると読んでいたため裏をかかれ、老臣の横地監物吉信と布施出羽守が滝山城から兵を率いて十十里山へと急いだ。十十里はトトリと読み、アイヌ語の藪と高い所を表す語が転じたともいい、京都の砥取山にならったとも、京から百里の地の意ともいう諸説がある。その地は当時、南多摩郡浅川町上椚田字十十里で、大半が御料地となって林業試験場が置かれていた。
原典より
この「十十里」は「トトリ」と發音するが、その語源は、アイヌ語の「藪」を意味する「トト」と「高い處」を意味する「リイ」の二語の連鎖した「トトリイ」の轉訛したものであると言われてゐる。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。