お七を弔い一万日を歩いた吉三の墓
どんな伝承か
目黒の行人坂を下った大円寺の境内に、吉三の墓がある。芝居で知られるお七の相手方その人で、天和三年三月二十九日にお七が火刑に処せられたと知ると、彼は僧形となって江戸を離れ、菩提を弔いながら諸国を巡り歩いた。年を経て江戸へ戻ってからは目黒不動に籠って念仏に明け暮れ、享保十五年には行人坂の明王院境内に常念仏堂茂林庵を建てる。以後、毎夜九つ時に床を離れ、目黒から浅草の観音まで数里の道を通い続けて一万日の行を満たした。二十七年余に及ぶその勤めは人々の信を集め、庵は茂林寺、のちに吉三寺とも呼ばれて栄えた。元文五年十月四日、七十七歳で没している。
原典より
銀座の夏の夜を行く程の者は、其所に輝くシャンデリヤの下で、ビンズを摘み乍ら傾ける酌器の味を知つてゐるだろう。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代))