一万日の日参を遂げた吉三の墓
どんな伝承か
八百屋お七の相手だった寺小姓の吉三は、天和三年に彼女が焼かれたのち僧形となって諸国を巡り、やがて目黒の不動堂に籠もった。享保十五年、行人坂の明王院の境内に常念仏堂を建て、真夜中に沐浴して草鞋を履き、目黒から浅草の観音まで毎夜歩き通す一万日の練行を始める。二十七年余りに及ぶその行はやがて評判となり、庵は茂林寺と改まって吉三寺とも呼ばれた。お七の没後五十七年目、元文五年十月四日に七十七歳で世を去った彼の墓は、今も大円寺の裏山にひっそりと立っている。
原典より
銀座の夏の夜を行く程の者は、其所に輝くシャンデリヤの下で、ビンズを摘み乍ら傾ける酌器の味を知つてゐるだろう。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代))