力寿姫の自害と三明寺の馬方弁天
どんな伝承か
九百八十年ほど前、三河の国守大江定基には赤坂の遊女ともいわれる愛人力寿姫がいた。四年の任期を終えて定基が都へ帰ることになると、二度と会えないと悟った力寿は、帰京の日が迫ったある夜、定基愛用の琵琶を抱いて舌を噛み切り自害した。嘆いた定基はその舌を埋めて力寿山舌根寺を建てて弔い、それが豊川市八幡の財賀寺境内の文殊堂だという。また力寿の面影に似せて琵琶を抱かせた弁天像を刻んで納め、これが三明寺の通称馬方弁天だと伝わる。定基は永延二年に都へ帰って出家し寂照と名のり、のちに宋へ渡って生涯を終えた。
原典より
愛人の都へ帰京する日も迫ったある夜力寿は定基愛用の琵琶を抱きしめ、舌を噛み切って遂に自害した。—— 日本の妖怪伝説(小笠好恵・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の妖怪伝説(小笠好恵・1966年(昭和41年))
『日本の妖怪伝説』は、小笠好恵が各地に伝わる奇談・怪談を読み物にまとめた伝説集で、序は昭和四十一年五月付である。浅茅が原の一つ家、四谷怪談、九尾の狐、安達が原の黒塚、道成寺、鍋島の化け猫など、岩手から熊本までの四十五話を、伝えられた形をなるべく崩さずに書き直し、おおむね東から西へ並べる。雨月物語や小泉八雲など書物に拠る話のほか近年の体験談も混じり、一部の話の末にはゆかりの寺社へ行く「順路」を付ける。