曽谷城跡の草分け梶尾弥平太の八幡様
どんな伝承か
曽谷城が滅んだ後、最初にこの地に住みついたのは梶尾弥平太であったといい、それにちなんでこの一帯は「曽谷字弥平太」と呼ばれる。屋敷の中には代々八幡様が祀られていたが、明治四十一年に春日神社の境内へ合祀された。この八幡様は八幡大神ではなく八幡大菩薩で、水軍の人々が信仰したものとされ、梶尾の姓はもと水軍に関わっていたためではないかと言われている。
原典より
家の裏に八幡様あったんですよね。—— 市川の伝承民話 第2集(市川民話の会・市川の伝承民話・1981年(昭和56年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第2集(市川民話の会・市川の伝承民話・1981年(昭和56年))
『市川の伝承民話 第2集』は、市川民話の会が昭和五十六年に発行した民話資料集である。千葉県市川市の曽谷・宮久保・下貝塚と行徳の古老から聞き取った、狐や狢に化かされた話、火の玉、伝説、昔話、唄、暮らしの禁忌や苦労話を、方言を残した語り口のまま記録している。世間話・伝説・昔話・唄・生活譚の五部を地区別に並べて各話の末に話者と記録者を記し、巻末に語り手の紹介、話者と採訪者の名簿、採訪記、あとがきを付す。