義家が鎧を沈めた池
どんな伝承か
新宿区若葉三丁目の若葉公園のあたりは、むかしは非常に大きな沼で、いつも清水がこんこんとわいていたという。平安時代の応徳三年(一〇八六)のころ、八幡太郎義家が奥州征伐の途中にこのほとりを通り、池のまわりで軍兵を休ませた。そのとき、ここで馬に水をやろうとして、あやまって鎧を水底に沈めてしまった。それからのち、この池を「鎧が渕」とよぶようになったと伝えている。このあたりには明治初年まで陽光寺という寺があり、そののちに鮫が橋小学校ができた。
原典より
場所 若葉三丁目 若葉公園内時代 平安時代応徳三年(一〇八六)のころむかしは、非常に大きな沼であって、いつも清水がこんこんとわいていたという。—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会・1969年(昭和44年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会・1969年(昭和44年))
『新宿と伝説』は、新宿区教育委員会が昭和四十四年に編んだ区内の伝説集である。カッパが出る坂、四谷怪談のお岩、矢来町の化け石、女幽霊が掘った清水など、牛込・四谷・戸塚大久保・新宿・淀橋柏木落合の各地に伝わる六十二の伝説を、江戸の地誌や随筆などから採って収める。第一章で伝説の分布と型を概説し、第二章では地域別に、各話へ場所・時代・出典・解説・参考書を添える。