五 義家が鎧を沈めた池
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どんな伝承か
新宿区若葉三丁目の若葉公園のあたりは、むかしは非常に大きな沼で、いつも清水がこんこんとわいていたという。平安時代の応徳三年(一〇八六)のころ、八幡太郎義家が奥州征伐の途中にこのほとりを通り、池のまわりで軍兵を休ませた。そのとき、ここで馬に水をやろうとして、あやまって鎧を水底に沈めてしまった。それからのち、この池を「鎧が渕」とよぶようになったと伝えている。このあたりには明治初年まで陽光寺という寺があり、そののちに鮫が橋小学校ができた。
原典より
場所 若葉三丁目 若葉公園内時代 平安時代応徳三年(一〇八六)のころむかしは、非常に大きな沼であって、いつも清水がこんこんとわいていたという。—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会)
新宿区教育委員会編『新宿と伝説』を全62話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。
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