三箇蔵山の如来
どんな伝承か
康元二年、鎌倉将軍藤原頼経が大多喜の城を興し、行軍必勝を祈るために三箇の蔵を造って、地中から出現したという馬頭観音菩薩の像を安置し、三箇蔵山と名づけたと縁起は伝える。これが今の紺屋町の三箇蔵山観音寺であるという。ただし馬頭観世音菩薩を聖徳太子の作とするのは、それより千有余年も後のことにあたり、頼経の再興も上総介広常の時より六十余年後になるから、三箇蔵山と名づけられたのは後世のことと思われる。土中出現の尊像は、今は下大多喜の蔵法院に安置されている。
原典より
康元二年、鎌倉将軍藤原頼経が、大多喜の城を興して、行軍必勝の用を込めやうため、三箇の蔵を造られ、地中から出現したといふ馬頭観音菩薩の像を安置して、三箇蔵山と名づけた。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定))
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 上総の巻』を全218話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。