三箇蔵山の出現馬頭観音
どんな伝承か
康元二年、鎌倉将軍藤原頼経が大多喜の城を興し、行軍必勝を祈るために三箇の蔵を造って、地中から出現したという馬頭観音菩薩の像を安置し、三箇蔵山と名づけたと縁起は伝える。これが今の紺屋町の三箇蔵山観音寺であるという。ただし馬頭観世音菩薩を聖徳太子の作とするのは、それより千有余年も後のことにあたり、頼経の再興も上総介広常の時より六十余年後になるから、三箇蔵山と名づけられたのは後世のことと思われる。土中出現の尊像は、今は下大多喜の蔵法院に安置されている。
原典より
康元二年、鎌倉将軍藤原頼経が、大多喜の城を興して、行軍必勝の用を込めやうため、三箇の蔵を造られ、地中から出現したといふ馬頭観音菩薩の像を安置して、三箇蔵山と名づけた。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年))
『日本伝説叢書 上総の巻』は、藤沢衛彦が大正六年に編んだ上総国の伝説集である。夷隅・長生・山武・市原・君津の五郡にわたり、地名の由来、社寺の縁起、城と武将の事跡、大蛇や狐つきの怪異、俚謡や民間の風俗を、口碑や『総国誌』などの地誌から集める。巻頭に著者の序と緒言を置き、上総国と郡の名義を説いたのち、郡ごとに町村の所在を添えた見出しで一話ずつ並べる。