児島高徳主従が果てた六騎武者
どんな伝承か
元弘元年五月、尊氏との戦に敗れた児島高徳が主従六騎でこの北宿のあたりまで落ちのび、辻堂で自害して果てたと伝える。松が一本立つその墓を土地では六騎武者と呼ぶ。かたわらの石仏は喧嘩仏の名があり、礫を打ちつけると、打った者の友達どうしがたちまち喧嘩を始めるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙(柳田国男(指導)・日本放送協会(編)/関敬吾・石原美子(編纂)・1949年(昭和24年))
『日本伝説名彙』は、柳田國男の指導のもとに日本放送協会が昭和二十四年に編んだ伝説の名彙である。全国の伝説を、その拠り所となる木・石・岩・橋・清水・淵・塚・坂・屋敷・地蔵などの地物の名ごとに集め、伝わる県郡村名を付して、郡誌・市町村誌や伝説集、民間伝承誌などの出典を括弧で示す。冒頭に柳田の「傳説のこと」を置き、木・石岩・水・塚・坂峠・祠堂の部に分けて、巻末に資料の解説と種類別索引を付す。