中野長者と姿不見の橋
どんな伝承か
応永のころ、紀州の鈴木三郎重家の子孫という鈴木九郎が、諸国を流浪したのち武蔵野の中野の里に住みついた。痩せ馬が高く売れ、その代金がすべて大観銭だったので浅草の観世音へ納めたところ、以後は運が開けて中野長者と呼ばれる分限者になったという。九郎は財宝を野中の一本松の下に埋め、秘密が漏れるのを恐れて、運ばせた下男を神田川の淀橋の上で次々に斬った。その数は十人に及び、橋を渡ると下男の姿が消えることから姿不見の橋と呼ばれた。娘の婚礼の夜には大蛇が現れて十二社の池へ入り、春屋禅師の教化を受けた九郎は出家し、屋敷を寺として成願寺を開いたと伝わる。
原典より
第二 御犬小屋の旧跡・・・・・第三 桃園の旧蹟・・・・・・・第四 宗良親王陣営址第五 東福寺の家塾と遷喬小学校・第六 新井薬師…………………………第七 江戸築城と江古田が原沼袋古戦場…第八 蓮華寺と時の鐘………………………—— 城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。