内藤新宿・高田馬場・目黒の伝説
どんな伝承か
内藤新宿、高田馬場と山吹の里、目黒の三つの章を束ねた昔語り。新宿は家康から内藤家が賜った萱野原に元禄十一年宿駅が開かれたが、飯盛女が客を引き入れたため享保三年に廃され、明和九年に再開された。遊んだ武士たちは翌朝、天竜寺の鐘に追われて帰ったという。成覚寺には遊女白糸と鈴木主水の情死を伝える塚が残る。高田馬場は堀部安兵衛の仇討ちで名高く、近くの山吹の里では、狩りで雨に遭った太田道灌に少女が蓑の代わりに山吹の一枝を差し出した話が伝わる。目黒の章は、山路治郎兵衛が薩摩から孟宗竹を取り寄せて目黒の筍を広めたことと、目黒の秋刀魚の話を記す。
原典より
この山吹の里は戸塚一丁目と、豊島区の高田南町へ通ずる神田川に架せる、むかしは姿見橋と云ったが現在面影橋の北側に、豊島区の文教委員会の手で、「山吹の里旧蹟」との標識が立ててある。—— 城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。