第二多聞丸で宇品港を発つ
どんな伝承か
明治三十八年四月二十四日、曇りで時おり小雨の降る朝、騎兵の補充兵だった語り手たちは、馬の手入れを終えて広島を発ち、宇品港に着いた。港には大小無数の船が集まって帆柱が林のように並び、陸には戦地へ送る軍需品が山をなし、各兵科の兵で足の踏み場もなかった。昼食のあと馬の積み込みにかかり、沖に泊まる二千トンの輸送船第二多聞丸へ、はしけで二十五頭ずつ運んで起重機で吊り上げ、最下層に馬と荷、中層に兵、甲板にも馬を載せた。馬百頭と歩騎砲の兵八百人が乗り終えると、午後三時に船は動き出した。生きて帰らぬ覚悟でも、これが故国の見納めかと胸がつまり、そっと袖で涙をぬぐったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。