八百比丘尼が住んだ武蔵の比丘尼山
どんな伝承か
雀庵長房の「さへずり草」には、武蔵国豊島郡の上尾久村と西ヶ原村の間に比丘尼山と呼ぶ地がある、と記されている。土地の人は、若狭の八百比丘尼が住んだ所で、寛政のころまでは比丘尼が汲んでいた井戸も残っていたと語り伝えたという。文久二年五月、長房が下中里で草を刈る老婆に尋ねると、老婆は丑寅の方角に立つ木を指し、あそこが比丘尼山だが今は山と呼べるほどではなく、土を取って田畑にした結果、わずかに八百姫の小社が残るだけだと答えた。比丘尼は鳩ヶ谷に二百年ほど住んでから、この地へ移ったとも語られている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。