孝行娘の祈りに応えた峠の稚児池
どんな伝承か
昔の善光寺街道は、刈谷原峠を越えて善光寺へ参る人や荷馬車で行き交った。峠は難所で、中腹の商人石には倒れた牛馬を弔う馬頭観音の碑が何十も並ぶ。ある日、病弱な母と幼い娘が峠にかかると母が倒れた。近くの家で休ませ娘が懸命に看病したが治らない。ある夜、娘の夢に、近くの泉で拝み唱えごとをせよとのお告げがあり、翌朝そうすると母の食べ物と薬が目の前に現れた。元気になった母娘は峠を越えて善光寺へ向かった。以来この泉は稚児池と呼ばれ、日照りにも涸れなかった。後に田や道路のために小さくなり、今は土管井戸の形で残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 民俗編 第3巻 3 (中信地方 ことばと伝承)(長野県史)
『長野県史 民俗編 第3巻(三) 中信地方 ことばと伝承』は、長野県史の民俗編のうち中信地方の巻から、伝説の章を抜き出したものである。木・石・水・塚・坂と道・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・社寺・地名・禁忌などに分けて、松本・塩尻・安曇野・大町・北安曇・木曽に伝わる言い伝えを短い条で並べる。抜き出しの際に多くの条から採集地の表示が落ちており、土地の名が本文に書かれない条も少なくない。