新羅三郎が笛を吹いた吹上の八幡社
どんな伝承か
下新倉の吹上の丘にある八幡神社には、新羅三郎義光にまつわる創建の話が伝わる。寛治年間、後三年の役で苦戦する兄の源義家を助けに奥州へ向かった義光が、途中で正覚院に宿り、八幡大神を祀って賊の討伐を祈ったという。社前の扁額などによれば、時は中秋で、義光は月を眺めながら笛を吹き、武蔵野の草もなびくと歌を詠み、供の藤原季方が書き留めたとされる。社は嘉保二年に僧祐覚(扁額では東光坊阿闍梨祐慶)が整えたという。ただし市史は、足柄山で笙の秘曲を授けた逸話を吹上の地名に結びつけた後世の付会とみており、嘉保二年と刻まれた月待板碑も実は享徳二年の作だと指摘している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
和光市史 民俗編
『和光市史 民俗編』の伝説と昔話の章から、伝説の節を抜き出したものである。埼玉県和光市の下新倉・新倉・白子に伝わる、妙典寺の子安池と楊枝柳、孝行息子の汲む水が酒になった強清水、白子地福寺の枕返し地蔵、吹上観音の火中出現と観命尼の焼身、新羅三郎義光の笛の伝説などを、異伝と出典を添えて収める。市史の編者がそれぞれの伝説の成り立ちを論じる文章が多い。