真木野久平町人え剣術師範之事
どんな伝承か
享保のころ、牛天神の下あたりに一刀流の名人、真木野久平がいた。裕福な町人三人が連れ立って弟子入りし、金はいくらでも出すからすぐに免許を授けてほしいと迫った。久平は承知したものの、なおも伝授をせがまれ、某日の夜更けに供を連れず桜の馬場へ来るよう約束した。その夜、久平は三人に馬場の端から端まで全力で走れと言い、自分も後から追ったが、老いた身は半ばで息が切れて倒れた。走り抜けて戻った三人が介抱すると、久平は笑い、夜道や辻斬りに遭ったら一目散に逃げるのが剣術の極意で、あなた方はよく逃げたと言った。それから相応の技を教え、三人はのちに質実な武士となったという。
原典より
享保の頃、牛天神下辺にて剣術の達人と呼ばれし真木野、一刀流の名人なりしが、…—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。