王子稲荷の前で消えた客
どんな伝承か
三の輪の車庫前を流していた自動車が、王子稲荷の前までという約束で客を乗せた。二十二、三の、蠟燭のように痩せた男で、顔の色は真っ青だった。環状線を走る間、客は消え入るような声で話しかけてくるが、何を言っているのか聞き取れず、運転手は適当に相槌を打っていた。そのうち声が聞こえなくなったので、気分よく車を飛ばして王子稲荷の前に着き、ここでよいかと後ろを見た。客の姿はいつのまにか消えていた。運転手は真っ青になって帰り、そのまま床について三日ほどうなされた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫・1938年(昭和13年))
『日本怪談実話』は、田中貢太郎が昭和十三年に著した実話怪談集を河出文庫に収めたものである。明治以降に著者が聞き集めた怪異を報告調の短文で綴り、戦地の霊験や戦死者の知らせ、狐狸・天狗・海坊主、トンネルや自動車に現れる女、幽霊写真、狐狗狸などを扱う。元本は改造社刊の『新怪談集(実話篇)』で、冕言に始まって二百を超える小話を並べ、巻末に川奈まり子の解説を付す。