霊学偏重を戒めた金神の筆先
どんな伝承か
明治三十七年に艮の金神から諭された後も、霊学に熱中する若い出口王仁三郎は素直に従わなかった。一年後の明治三十八年旧暦四月十六日、出口直の手で出た筆先は、大本は筆先で世を開く所であり、霊学ばかりに凝ると誠が分からなくなるので、筆先を七分、霊学を三分にせよと戒めた。帰神に凝れば珍しがって人は集まるが、ろくな神は出ず、しまいには山師や飯綱使いと言われるとも告げ、狐狸や野天狗の霊にもてあそばれて神国の御用ができると思うのかと、王仁三郎を厳しく叱っている。
原典より
帰神ばかりに凝ると、最初は人が珍らしがりて集りて来るなれど、余り碌な神は出て来んから、終には山子師、飯綱使、悪摩使と言はれて、一代思はくは立たんぞよ。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。