刈谷に降った百八十八枚の神符仏札
どんな伝承か
『刈谷市誌』によれば、慶応三年(一八六七)九月十五日から十一月三日までの間に、愛知県刈谷の町に降った神符・仏札は実に百八十八枚に及んだ。内訳は秋葉七十一枚、南無阿弥陀仏十八枚、大神宮十七枚、津島十二枚、水天宮八枚など多岐にわたる。肴町の竹本要右衛門宅裏などにも御札が落ち、病難除け・町の安全・五穀成就を願って七日七夜の間、提灯・笛・太鼓で祝う届出も出された。次々に降る御札に人々の心は湧き立ち、九月十九日には町庄屋までもが芸子や笹馬を動員して町人と共に祝ったという。
原典より
九月十五日から十一月三日までの間に降下した神符・仏札は百八十八枚の多きに達した。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。