神示どおり五月一日に癒えた病
どんな伝承か
安政二年四月二十九日の夜、備中大谷で神は川手文治郎に、戌年の当年は厄まけの年で本来は熱病を患う番のところを喉痺に祭り替えたと告げ、五月朔日に病を送ると宣した。心経百巻を神前に上げ、妻は石鎚へ衣裳を改めて七日のあいだ香と灯明を供えよ、神前へ五穀を供えよと命じ、日天子が日々文治郎の頭上を昼の九ツに舞い通っていると語った。文治郎は神宣どおり五月一日から病がよくなり、五月五日には身内の者どもとともに感謝のうちに端午の節句を祝うことができた。
原典より
かくて、文治郎は世にも不思議な霊験に浴して、神示どおり五月一日から病気がよくなり、五月五日には身内の者どもと共に感謝と歓喜のうちに、端午の節句を祝うことができた。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。