水の出ない金竜海と賽の河原の石積み
どんな伝承か
大正三年の夏、王仁三郎は十年前の筆さきに従って竜宮の乙姫の池を掘ると宣言し、冠島・沓島の雛形を浮かべた池を思い描いた。ナオの言葉で名を金竜海と改め、七月二十五日に起工すると、役員信者総出の泥まみれの作業が始まった。だが高台の一枚岩で水はどこからも湧かず、町の人には籠池と笑われた。王仁三郎は苦労して積んだ石垣をやり直せと崩させ、逃げ出そうとしていた青年佐藤忠三郎には、積んでも崩される賽の河原の石積みだと語って、我を捨てて神に任せきる心を植えつけているのだと諭した。佐藤は思いとどまり、生涯を大本に捧げたという。
原典より
すると王仁三郎は言下に、「おまえらの身魂の立替え立直しの型やわい!」と断言する。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。