南北の奴弟子として滝に打たれた正鉄
どんな伝承か
文政十一年正月、伊勢参宮に出た井上正鉄は、五十鈴川のほとりで観相家の水野南北に出会い、狂死の相があると戒められて弟子入りを願った。京都の南北の住まいに入り、下働きの奴弟子となった正鉄が教えられたのは、粗末な物を少なく食べ、粗末な衣を着ることだけだった。麦飯一椀を一食とし、一日に麦一合五勺と生大根のほかは口にせず、息を臍の下に練り込み、朝は早く起きて水汲みや薪作りに励み、寒中でも毎夜音羽の滝に打たれた。耐えがたい暮らしを半年ほど続けると、心が澄んで怠け心が消え、美食や美服を求める気持ちもなくなったと正鉄は記している。
原典より
寒中といへども毎夜音羽の滝にかかり、夜は薄き蒲団に身をくるみて、つとめ難く凌ぎがたきを半年計勤めけるに、不思議や其の利益を得る事あり。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。