百日断食の末に尸解を疑われた臨終
どんな伝承か
河野至道は晩年、大阪西区の紀伊国橋の北西のたもとにある粕谷治郎の家に間借りし、修練を続けていた。明治二十年の四月下旬から百日の断食に入り、このときは水さえ一切断った。満行まであと二、三日という七月末、至道は家の主人に氷水を頼み、「急に行かねばならぬことになった」と告げて机に伏した。主人はいつもの貝塚行きだと思い込んで下がったが、何度のぞいても目を覚まさず、医者を呼んだときにはすでに息がなかった。宮地厳夫は死の二日後に大阪でこの主人から直接話を聞き、普通の死ではなく尸解だったと確信した。
原典より
然るに百日に満ずる両三日前、寓所の主人を呼び、氷水を取って呉れよと頼みます故、主人は氷水をコップに二つ取って盆に載せて側に持って行きました。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。