厠の前に現れた大阪の友の上半身
どんな伝承か
筆者が本郷の下宿にいた七、八年前のこと、同宿のエス君が、世に一種の不可思議がある証として自身の経験を語った。エス君が仙台の某中学にいたころ、仲のよかった同級の友が大阪へ転居し、その後も手紙をやりとりしていた。ある夜、燭を手に暗い廊下をたどり厠の扉を引き開けるとぎょっとした。大阪にいるはずの友が学校の制服の上半身の姿でぼうっと現れ、はっと思う間もなくかき消すように失せたのである。同時にエス君の心には「あの男が今死んだのだ」という意識が電光のように浮かんだ。翌朝電報が届き、続く書状で、友が天長節の祝砲の一斉射撃の際、銃身に挿したままの錫杖が発火の勢いで飛び出して首筋を貫き、即死したことが分かった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
怪談珍話集(細越夏村・1908年(明治41年))
『怪談珍話集』は、細越夏村が明治四十一年に著した怪談集である。陸奥や北奥の村、北陸の山中などを舞台に、因果応報の怪、幽霊との組打ち、狐女房の子孫、ひとりでに裂ける鏡、飛ぶ柩といった話を、筆者が学友や知人から聞いた話や自身の見聞として、文語まじりの文体で記す。十八の話に題を立てて並べ、最後の「僕の不思議」は筆者が幼いころに見たという猫の幽霊など身辺の不思議で結ぶ。