三下り半の坂道とされた高津の西坂
どんな伝承か
大阪の高津神社の西側にある西坂は、縁切りの坂とされてきた。そう言われるわけは、この坂が三下り半の坂道であったからだという。関西で知られる縁切りの坂の一つで、明石の人丸神社の坂と並べて、板橋の縁切り榎と同じ類の場所として挙げられている。
原典より
関西では大阪府大阪市高津神社の西坂および兵庫県明石市人丸神社の坂が縁切りの坂とされ、その理由は前者が三下り半、後者が七下り半の坂道であったからだという。—— 西郊民俗 縁切り榎(長沢利明・西郊民俗シリーズ) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
西郊民俗 縁切り榎(長沢利明・西郊民俗シリーズ)
『西郊民俗 縁切り榎』は、長沢利明が東京都板橋区本町の縁切り榎について書いた民俗学の論考である。旧中山道板橋宿の榎が縁切りの神木とされた由来を、『新編武蔵風土記稿』や五十宮下向の際の注進書、身禄伝説、江戸の随筆と川柳、明治の講談本からたどり、樹皮を煎じて飲ませるまじないや小絵馬・祈願文の奉納、今の参拝のようすを記す。後半で足利の縁切り稲荷など各地の類例と比べて婚礼行列が避ける場所のタブーとの関係を考え、末尾に注と文献を付す。