狐の豊作の噂から始まった伏見稲荷の豊年踊り
どんな伝承か
豊年踊りはもとは五穀豊穣を願う村の祭りだったとみられるが、著者がここで扱うのは京都の町の例で、「京師踊り」とも「蝶々踊り」とも呼ばれた。天保五年の正月、伏見稲荷の狐が今年は豊作にしてやると言ったという噂が広まり、京都の町の人々が参詣に押し寄せて、それが豊年踊りになった。この流行は、天保二年に砂持ちの騒ぎで群衆を熱狂させた大坂の玉造稲荷にも及び、そちらでも参詣がはやったという。
原典より
まず天保五年(一八三四)正月、伏見稲荷の狐が今年は豊作にしてやるといったという噂から、京都市民が参詣し、「豊年踊り」となった。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。