男女が装いを替えて踊った京都の蝶々踊り
どんな伝承か
天保十年(一八三九)三月半ば、仏光寺の開帳と今宮社の「砂持ち」のころから、京都で「豊年踊り」の流行がふたたび起こった。男は女に、女は男にと姿を変え、思い思いに仮装した群衆が乱舞しながら三井や大丸など豪商の家に踊り込んだ。京都所司代や町奉行所、御所にまで踊り込みがあったという噂も立ったという。囃し言葉の「チャウチャウ」から、この騒ぎは「蝶々踊り」とも呼ばれた。
原典より
このとき、京都所司代や京都町奉行所・御所などにも踊り込みがあったという噂もささやかれたという。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。