宮沖新開の人柱となった甚五郎
どんな伝承か
元禄十三年に完成した宮沖新開は、百二十二町余りの田を生んだ大がかりな干拓だった。埋め立ては初めのうちは順調だったが、最後に海際の口をふさぐ潮止めにかかると、砂俵や石をいくら投げ入れてもすぐに崩れ、工事は行き詰まった。人柱を立てなければ仕上がらないという声が広まって城中でも語られ、相談の末、翌日の潮止めに集まる役目の者のうち袴に横つぎの当たった者を人柱にすると決まった。翌日、奉行が人々の身なりを調べると、人夫の一組をまとめる実直な男、甚五郎の袴に横つぎが見つかった。甚五郎は愕然としたが、逃れようのない立場と観念して進み出て人柱となった。宮沖町にあった甚五郎松は、その供養に植えられたと伝わる。
原典より
そして、甚五郎という男の袴に横つぎのあたっているのを見つけ、これを人柱に立てることを宣言した。—— 三原市史 第7巻 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
三原市史 第7巻 民俗編
『三原市史 第7巻 民俗編』は、三原市の市史の民俗編のうち「三 伝説」の節だけを収めた部分で、番号を付けた十二の伝説から成る。糸崎八幡宮の神馬を祀った馬神塚、夜泣きの松、福島正則の命で伐られた大楠、山ん婆の足跡、蛇のヤムシロ、餅を搗かない家、干拓の人柱となった甚五郎など、市内各地の伝説を収める。各話の末尾に「書出帳」『三原志稿』『三原昔話』『沼田地方の伝説』や土地の伝承など、拠った資料を記す。