中傷の渦のなかで逝った長尾郁子
どんな伝承か
長尾家での実験は山川健次郎の謝罪で収まったはずだったが、その後も奇妙な出来事が続いた。一月十一日の大阪時事新報は、長尾判事が博士を旅館に訪ね、今後郁子に透視をさせないと誓ったという作り話を載せ、山川が新聞社に抗議した。実験側の藤は雑誌に手品にだまされる学者が気の毒だと書き、中村清二博士は念写実験を一度もしないまま講演で手品だと言い切った。騒ぎのなかで傷ついた郁子は風邪をこじらせて寝込み、「わがまごころはしるひとぞしる」と歌を詠んで、三月二十六日に亡くなったという。
原典より
騒ぎのさなか、悲嘆と傷心の日々を送っていた郁子はかぜをこじらせ寝こんだあげく「わがまごころはしるひとぞしる」と歌に詠んで、三月二六日、あの世へ旅立っていった。—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))
『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。