白梅の散る日に逝った福来友吉
どんな伝承か
主宰していた大日本心霊研究所を昭和一六年に敬神崇祖協会と改称していた福来友吉は、大戦後その経歴をGHQにマークされ、戦犯として追放された。終戦後、夫人の故郷である仙台に移り住んだ福来は、発足したばかりの東北心霊科学研究会の顧問として、赤痢菌発見者の志賀潔、詩人の土井晩翠らとともに後進の指導にあたった。会長は白川勇記で、この研究会はのちに設立される福来研究所の母体である。昭和二七年は福来にとって現世最後の年であった。最後の気力をふりしぼるように『日本の最も偉大な霊媒三田光一』を書きあげて米誌に送り、まもなく逝去した。風邪をこじらせたあっけない死で、庭の白梅が強風に舞い散った日であったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。