荒川の水害を鎮めた千崎稲荷の勧請
どんな伝承か
千住の二ツ森に祀られた氷川社と稲荷社は、今の千住神社にあたる。氷川社は弘安二年に勧請されたという。稲荷社については、武蔵国渕江のあたりの百姓たちが、田の稲が毎年のように荒川の水に浸かって腐るのを嘆き、延長四年に二ツ森の川の北のほとりにこの神を祀って、五穀の実りと飢えからの救いを願ったと伝える。その後は凶作を知らず、子や孫の代まで豊かに栄える者が多かったので、人々はこぞって千崎稲荷大明神とたたえたという。
原典より
爰に武蔵国渕江のほとりの里の百姓、荒田の稲、年として荒川の水に腐れるを患へ、延長四年丙戌といへる年、二ツ森にこの御神の河北のほとりに祀り、…—— 厄除け――日本人の霊魂観(佐々木勝・民俗学・厄除け信仰・1988年(昭和63年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
厄除け――日本人の霊魂観(佐々木勝・民俗学・厄除け信仰・1988年(昭和63年))
『厄除け――日本人の霊魂観』は、佐々木勝が昭和六十三年に名著出版から刊行した民俗信仰の論考集である。鬼・悪魔・疱瘡神・一つ目小僧など人に災いをもたらす神霊を「厄神」と総称し、その来訪を防ぐ呪術と祀り上げる祭祀を、著者の民俗調査と国学院大学民俗学研究会の採訪記録などの事例から説く。禁忌と呪術、百鬼夜行と目籠、鬼の宿と笹神様、年神とミタマの飯、厄年と年祝い、正月行事と司祭者など八章からなり、うち四章は書き下ろしである。