揖屋東泉寺が愛染寺から荼吉尼勧請
どんな伝承か
享保二年に編まれた出雲の地誌『雲陽誌』によれば、八束郡揖屋の東泉寺の鎮守稲荷は、京の東山の稲荷を勧請してから百三十年あまりになるという。元禄年間に僧雄という僧が京都に上り、愛染寺から社札や秘法、明神の尊像である吒枳尼、さらに白狐妙天までを伝えて帰り、社を建てて神を遷した。著者は、神仏習合の時代に伏見が荼吉尼の本山として仰がれ、地方の寺社がそこから荼吉尼天の名で分霊を受けることが珍しくなかった例としてこれを挙げている。
原典より
元禄年中、僧雄、京都にのぼり、愛染寺より社札・秘法・明神の尊容吒枳尼並に白狐妙天まで伝来、社を建立し、神を遷たてまつる—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。