館山に沈む黄金の鶏の井戸
どんな伝承か
富岡町上手岡に館山と呼ばれる標高一一七メートルの丘陵があり、朝賀城とも高津戸の館とも呼ばれた館の跡と伝える。約六百五十余年前の南北朝の頃、岩城氏の意に反して南党についた高津戸隼人守を討つべく、北党の軍勢が押し寄せた。月の出を合図に戦を始める申し合わせであったが、敵は月に似せた大提灯を仏浜の空に掲げて不意を突いた。餅をついていた館勢はつけるものが間に合わず、有り合わせの大根おろしをかけてかき込み応戦したが敗れ、姫だけをかろうじて落ち延びさせた。落館の際、隼人守は家宝の黄金の鶏を館内の井戸深く投げ込んだといい、その井戸は雑木林の中に今も残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
富岡町史 第3巻(考古・民俗編)――昔話と伝説(富岡町(編)・富岡町史)
『富岡町史 第3巻(考古・民俗編)――昔話と伝説』は、福島県富岡町の町史のうち考古・民俗を扱う巻で、ここにはその第九章「昔話と伝説」が収められている。昔話の節は昭和五十八年五月の福島県教育委員会による文化財基礎調査のまとめに町の既刊の話集から数編を加えたもので、麓山の白蛇や、大原の大吉・金平六など名のある狐の話が目立つ。伝説の節には朝賀城哀話、仏浜、戊辰戦争、鉱山、北風薬師などを収め、各話に伝承者の地区と名を添える。