京都の皇典講究所への入学
どんな伝承か
年譜は、明治三十九年九月に王仁三郎が皇典講究所へ入学したと記す。本文によれば、日露戦争の予言が当たって自信を深めた王仁三郎は、狂信的な幹部に囲まれた綾部を離れ、京都に開かれたばかりの神職養成機関である皇典講究所に第一期生として入った。翌年に好成績で卒業し、京都府庁の神職試験に受かって建勲神社に奉職したが、霊を重んじる彼は国家神道の場になじめず、やがて御嶽教に迎えられて大阪大教会長に抜擢された。
原典より
綾部をはなれた王仁三郎は、京都に開設されたばかりの、神職養成機関である皇典講究所に第一期生として入学する。—— 出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元)
『出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相』は、武田崇元が著した、大本の出口王仁三郎の予言をめぐる解説書である。開祖出口ナオの神憑かりと王仁三郎の生涯をたどりつつ、日露戦争から太平洋戦争・敗戦に至る予言や、発禁とされた予言詩『瑞能神歌』、『霊界物語』の記述を取り上げる。予言と二度の大本弾圧を軸に歴史との符合を論じ、秘章で入蒙や出生をめぐる謎を扱い、巻末に年譜を付す。