塚から現れた聖徳太子の像
どんな伝承か
大崎の太子堂に祭られている聖徳太子の像は、塚を崩した際に中から出てきたものを祭ったと伝えられている。堂に伝わる寛文九年の鰐口には大崎村太子堂の銘があり、堂が江戸時代初めにはすでに建っていたことがわかる。像は木造に彩色をほどこしたもので、江戸時代の作とされる。
原典より
大崎太子堂の聖徳太子様は、塚を崩したとき出てきたのを祭ったものという。—— 浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史)
『浦和市史 民俗編――伝説』は、浦和市史の民俗編のうち、第十章「伝説」を収めた部分である。調神社の片目の鯉や兎を飼わない言い伝え、日蓮上人の駒つなぎのケヤキ、見沼の竜神や笛、別所沼の大蛇、地名や塚の由来、特定の作物や弓矢を忌む家の言い伝えなど、市内に伝わる伝説を集める。旧市部から西浦和まで地区別に節を立て、見沼の伝説は一節にまとめ、章の初めに『埼玉県伝説集成』などの引用文献を掲げ、話のあとに▽印で異説や由来を補う。