田沼意次の出世と豊川の吒枳尼天
どんな伝承か
愛知県豊川市の豊川稲荷は、正しくは円福山妙厳寺の鎮守である豊川吒枳尼真天を指し、伏見と違って初めから吒枳尼の信仰を掲げてきた。縁起は今川義元・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らが信仰したと伝える。幕臣の田沼意次もこれを深く敬い、小姓の身から遠州相良五万七千石の大名にまで上りつめたため、世間はそれを吒枳尼天のおかげと噂し、旗本や大名の屋敷に稲荷の小祠を祀る家がにわかに増えたという。いま分祀は東京赤坂のほか横須賀・札幌・大阪・福岡にまで及ぶ。著者が見たときも、薄暗い内陣の前で僧たちが一斉に経を唱え、本殿前の金網の外には眷族に供える油揚げが並び、境内にはそれを売る老婆の店があった。
原典より
また幕臣ではかの田沼意次がこれを尊信し、そして小姓から遠州相良五万七千石の大名にまで出世したので、世人はこれを吒枳尼天のお蔭であるとし、…—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。