随神門の外に祀られた定吉稲荷
どんな伝承か
滝沢馬琴の編んだ『兎園随筆』に、神田明神の神主柴崎の家計を立て直そうと人々が寄り合った折の話がある。その席へ加わった永富町の釘屋清左衛門は供を連れており、その定吉という十四の少年に狐が憑いた。定吉は誰彼の正邪を次々と口走ったが、それがあまりによく当たったため、ついに定吉稲荷大明神として明神の境内、随神門の外の東側に祠を建てて祀り込めることになった。もっともこの祠は、のちに寺社奉行の命によって取り壊されたとも記されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。