屋敷神として祀られたほうそう神
どんな伝承か
飯豊町の中津川の数馬にある高橋太左エ門家では、屋敷の神として「ほうそう神」を祀っていた。旧暦の六月二十五日になると「奉納ほうそう神」と記した幟を立て、笹の葉に赤飯をのせてお供えをしたといい、その日は近所の人たちもお参りにやって来たという。疱瘡が何より恐れられた病であったころ、病の神を家の内に祀った例である。
原典より
飯豊町中津川の数馬の高橋太左エ門家では屋敷神として「ほうそう神」を祀り、旧六月二十五日に「奉納ほうそう神」と書いた幟を立てて、赤飯を笹の葉にのせて供え、近所の人も参拝に来たものだという。—— 置賜の庶民生活2(民間信仰)――俗信・ワカ・死霊(置賜民俗学会ほか・置賜の庶民生活) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
置賜の庶民生活2(民間信仰)――俗信・ワカ・死霊(置賜民俗学会ほか・置賜の庶民生活)
『置賜の庶民生活2(民間信仰)』は、置賜地方の民間信仰を、奥村幸雄・武田正・湯川洋司・戸川安章が項目ごとに分担して書いた民俗誌である。人の一生や食物・病気の禁忌、天気占い・作占い・予兆とまじない、ワカ(巫女)、病を治す薬師・道祖神・不動・地蔵、死霊と魂招び・死水の習俗を、古老からの聞き書きや家伝の書付、近世の記録を交えて記す。「禁忌・卜占・予兆」「生活の中の神々」「仏・地蔵」「死霊」などの部に分け、項の末尾に執筆者名を記す。