愛宕原を開いた若柳備前
どんな伝承か
昔、若柳村に若柳備前宗貞という侍がいた。白岩の太郎右衛門の二男で幼名を源治といい、十三歳で永徳寺順良和尚の推挙により出羽の安東公に仕えた。文武に優れて信望を得たが、同輩の讒言で捕えられかけ、奥女中の機転で城を逃れる。帰郷すると父に勘当され、兄から母の握り飯と路銀を受け取って奥州街道を南へ下った。のちに刀鍛冶宗貞となり、胆沢の柏山家に召し出されて山田城に住み、若柳備前と称した。洪水で荒れた土地を復興するため愛宕原を担保に出羽の安東愛季の援助を得て新田を開き、愛季の一字をとって愛宕原と名づけたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。