塔婆が根づいた供養塚の柳
どんな伝承か
岩手の農業災害は苛酷で、過去八百年に九十回の不作・凶作があり、江戸の二百六十年だけで七十五回を数えた。元禄・宝暦・天明・天保の四大飢饉では餓死者が万を越え、人肉を食う惨状も記録される。飢えた南部藩の農民は胆沢川を渡って新里村・柳田村を襲い、秋田へ向かう途中に力尽きた者の遺骸は雪代水に流されて川を堰き止めたと伝える。正元年間の大飢饉では胆沢地方でも数百人が餓死し、一家全滅の空家も出た。生き残った五十余人と僧が経文を唱えて三界万霊碑を建て、その柳の塔婆が根づいて古木となり、この地を供養塚というようになった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。