江戸城の丑寅を塞いだ東叡山寛永寺
どんな伝承か
桓武天皇が比叡山に延暦寺を建てて皇居の鬼門を守らせた先例にならい、江戸幕府は寛永四年、比叡山を東へ移す意味で東叡山寛永寺を開き、千代田城の丑寅を鎮めるものとした。寛永寺は幕府に忠実で鬼門の禍もなく、花の山を鬼の門とは思えぬと川柳に詠まれるほどの歓楽の地となる。江戸城の外濠の堤には松を植えたが、丑寅の方角だけは硬い松を避けて柳にしたのが今の柳原町だとも言われた。もっとも著者は、これらは臆説にすぎず、家光は鬼門を恐れて寺を建てたのではないと断じている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の俗信 1――迷信の実態(文部省迷信調査協議会・日本の俗信・昭和24年(1949))
文部省迷信調査協議会『日本の俗信1―迷信の実態』(昭和二十四年)。戦後の文化国家建設を背景に、昭和二十一年から宇野圓空を委員長とし今野圓輔・森秀男・古畑正秋らの人文・自然科学者・迷信研究家が、全国の児童生徒・教師を通じて行った大規模な迷信実態調査の第一回報告。