明治になっても許されなかった帰村
どんな伝承か
明治四年、維新政府の新政策である還住許可によって、かつて上来原村を追放された邪気持ちの実太ほか三名が望郷の念にかられ、喜び勇んで故郷へ帰り住もうとした。しかし上来原の庄屋は再び、村内の平和が乱れる恐れがあるとして、彼らの帰村を許さないよう官辺筋へ内申書を差し出した。内申書は、彼らが在村中に多くの人々へ邪気を差し向けたため村方一統から立退きを求められた者であり、たとえ心底を改めたとしても村民は祟りを恐れて安心しないだろうと述べる。実太と卯平は組替え先で田地を買い相当な暮らしをしていたが、結局、明治になっても故郷の村へは帰れなかったようである。
原典より
ところが、このたび、格別の御思召によつて、右の者達を、元の村へ御返えしになるとの御こと、…—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。