前原屋万蔵の訴状
どんな伝承か
万蔵の訴状によれば、三十年前、万蔵は姉ヨシと西国巡礼に出て、播州明石あたりの若者と道連れになり、ヨシは隠岐へ来るなら妻になると約して果たさなかった。数年後ヨシが病むと、海前寺は約束を破られた男の生霊の祟りと占い、別府村の神官らの祈禱で快方に向かった。次に万蔵の妻が病むと、流人僧観玉は死霊の祟りだとして万蔵方に若宮の小祠を建てさせたが、やがて面屋嘉兵衛の病がその祠のせいとされた。父利平太は伏見稲荷の託宣で祠を海に流し、吉田神社や日御碕からも狐はいないとの書付を得たが噂はやまず、親戚は縁を切り、万蔵は村役を解かれ、倅の嫁や娘まで離縁されたという。
原典より
前原屋万蔵の訴状は、たいへん長文であるが、略記すれば、あらまし、つぎのようなものである。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。