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隠岐島になじみの薄い狐

所在地島根県隠岐郡西ノ島町大字宇賀
年代近世中期
登場観玉、春山、良賢坊、ヨシ、利平太、面屋嘉兵衛、前原屋万蔵、出雲の人々、流人僧・祈禱師、流人僧、焼火山雲上寺二代、万蔵の姉、万蔵の父、病人、狐持ちとされた当主
出典出雲の迷信

どんな伝承か

前原屋万蔵の姉ヨシが病んだ文化の初めごろまで、島前の村々に狐持ちは一軒もなかった。隠岐にはもともと狐がすまず、水田も少ないため稲荷信仰は育たず、焼火山雲上寺の良賢坊が使ったといういづなの法も根づかずに消えた。近世中期に代官が別府の陣屋の上に稲荷を建てた程度である。だから最初の海前寺は生霊、流人僧観玉も死霊の祟りと言い、人狐とは言っていない。観玉は京都本国寺の塔頭の住持で、寛政十一年に宇賀村へ流された日蓮宗の僧だった。流人の身で人狐の名は避けて若宮の祟りを説いたが、父利平太が伏見稲荷に祈禱を頼んだことが、かえって前原屋に人狐がいるという噂を生んだと著者はみる。

原典より

前原屋万蔵の姉ヨシが病気になった文化の初め頃までは、島前の村々に、狐持ちは一軒もなかった。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))

『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。

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狐持ち迷信流人坊主日蓮宗

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