暴力事件へ発展
どんな伝承か
村役人が率先して行なう疎外排斥では家門を維持できないとして、人狐組合の面々が大庄屋への越訴を決めた矢先、村八分は暴力事件へ発展した。人狐組合の源四郎宅へ、金を借りていた浅四郎とその兄友四郎が夜分に押しかけ、先年借りた三百文を昨夜お前の家の人狐が取立てに来たから今夜支払いに来たと言うなり、五、六尺の棒で源四郎の肩先に打ちかかり、他の村人も大勢乱入したという。秀四郎ら一一名は連署して大庄屋官蔵へ愁訴状を出し、官蔵の説論に応じて宇賀村の頭百姓伝吉ら九名と年寄・庄屋の連名で詫状が出された。形の上では落着したが村八分は解けず、対岸の豊田・菱浦へ飛び火した。
原典より
このように、村役人がみずから率先して行なう疎外排斥を受けては、とうてい家門の維持が不可能であるとし、人狐組合の面々は、村役人より一段上位の大庄屋へ、越訴するしか方法があるまいとの結論に達したやさきに、村八分は暴力事件へと…—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。