祈禱料に数百両を費やした人狐組合
どんな伝承か
人狐組合の経済力は相当なもので、西国巡礼や地元祈禱師への謝礼のほか、一回二〇両相場の祈禱料を払っての出雲大社・伏見大社・吉田神社への依頼と旅費を合わせれば数百両に及んだであろう。総帥の徳田屋は苛烈な村八分に堪えぬき、今なお西の島第一の山林地主である。その富は俵物生産と回船業によるもので、煎海鼠・乾鮑・鱶鰭の長崎俵物買い上げが江戸中期以降の隠岐に急激なブームを起こした。文政八年(一八二五)の割符では宇賀村に煎海鼠五万三千斤余と干鮑三万斤が割り当てられている。商取引は問屋を兼ねる村役人層には禁じられ、一段下の富民層が担ったため、前原屋・徳田屋のような新興成金が生まれた。
原典より
人狐組合の経済力はたいしたものであった。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。